【本から離乳食を考える】世界の食べものー食の文化地理(石毛直道)

わたしたちの離乳食のヒントになりそうな本を少しずつ紹介します。
第一弾は、世界の食べものー食の文化地理(石毛直道/講談社学術文庫)から離乳食に関連する内容を抜粋、コメントします。

”「主食」という観念は世界に共通するものではない”

これはびっくり!離乳食に限らず日本の食卓は、「主食、主菜、副菜とバランスよく食べましょう!」が基本ですが、実はこれは東アジアや東南アジアの米食文化圏のみ。「主食」にあたる言葉はパンを食べるヨーロッパなどではないそうです。

では主食の概念がある米食文化の国々では、「主食」はどのように考えられているのでしょうか?

”主食は、「お腹を膨らませる目的とした炭水化物(穀物、芋類)で、原則味付けしない」”

では主食以外は?

”副食(主食以外、この場合は主菜と副菜)は、「肉、魚、野菜を味付けしたもので、主食を食べる時の食欲増進材」。塩気と旨味で味付け。そして少量。”

つまり「味付けしていない大量の米を食べるために、味付けしてある少量のおかずを利用する」ということです。日本やアジア諸国の離乳食がお米がメインで、ヨーロッパでは野菜やフルーツからスタートするのは、このあたりの価値観が影響していそうですね。

”米を大量に食べることで得られるタンパク質を摂取していた”

長らく日本における一般的な民衆の食事は、「飯(米)」「汁」、「野菜を煮た副食物(漁村以外はたいてい野菜)」で構成されていたそうです。そして米はどれだけでもおかわりしていた!

でもよく見ると、タンパク質がありません。タンパク質はどこから摂取していたのでしょうか?

実は動物性タンパク質ではなく、米を大量に食べることで得られる植物性タンパク質から摂取していたそうです。1878年の統計では、当時日本人が摂取していたタンパク質のうち約50%、熱量の約60%が米から供給されていた!びっくり!

さらに小麦に比べて米はアミノ酸類がバランスよく含まれているので、他の食品からタンパク質が摂取できなくても生きていけるそうです。

離乳食時に「偏食で‥」とか、「おかゆしか食べない」と不安になる方もいると思います。その状況が長く続くわけではないですし、つい一世紀ちょっと前まではこんな食生活が当たり前だったこと、少し心に留めておいてください。

西と東の食文化の違い
”野菜主体の料理には旨味を補う必要がある”

地理的に東西に分けて考えると、このような違いがあるそうです。ちなみには境界線はインド付近。

西の食文化圏:
・牧畜(肉、乳製品)を行う麦文化
・強いスパイスで肉の臭みを隠す調理法
・バターやオリーブオイルなど油脂を多用
・微妙な旨味が問題にならなず、塩味だけで十分美味しい
・インドより西は、味付けや脂肪分を加える。さらに稲作をしない北西ヨーロッパでは、バターライスなど米は野菜と同じ位置づけ。菓子としても食べられる。

東の食文化圏:
・牧畜をしない米文化
・油脂はあまり使用しない(中国もヨーロッパと比較したら少ない)
・野菜主体の料理には旨味を補う必要がある
→味噌、醤油類、塩辛、魚醤類、出汁(グルタミン酸=昆布、イノシン酸=鰹節、グアニル酸=しいたけ)
・常食とする米は味付け、色付け、香りづけしない

日本では畜産が発展せず、かつ明治時代の肉食禁止により肉は長い間食べられませんでした。そのため、肉の臭みを消す強烈なスパイスは必要なく、魚の臭みを消すに足るワサビ、生姜、柑橘類、シソがハーブとして使われました。

ライスプディング(米のミルク煮で、おやつとして食べられる)は、育児用ミルクを使えば離乳食に応用できると思います。

また味付けをしない米を常用する私たちにとって、やはり出汁や味噌、醤油などでの味付けがポイントになりそう。そうなると、昔の「お味噌汁ご飯で離乳食」は理にかなっていたのでは。

”野菜は、香りやあく苦味の刺激はあっても、甘みは少なく旨味がない”

そもそも家畜が牧草を食べて出した乳と肉を食べていた国々では、微量要素を吸収しているので、青野菜が食べられることは少ないそうです。

そもそも農業は「主食を作ること」が目的で、飢えをしのぐことが一番の存在意義でした。野菜は、国が裕福になるにつれて「食卓を多彩に」という意味で、種類が増加しています。

ただ本来野菜は、香りやあく苦味の刺激はあっても、一般的に甘みは少なく旨味がないのが普通で、そのままか加熱して塩だけの味付けではまずいそう(笑)そのため、他の材料から旨味を加える必要があります。現在は品種改良で甘い品種も増えていますが、確かにおっしゃる意味は理解できます。大人は「野菜は健康にいい」、「この苦味がいいんだよ」など頭で考えて食べますが、子どもは直感的に感じとるので。

ちなみにヨーロッパでは、野菜をぐちゃぐちゃに煮て、バターなど脂肪の旨味足したり、肉のソース(グレイビーソース!)で食べます。オランダの家庭料理がワンプレートで提供されるのは、このためです。洗い物が楽だという特典あり。

中国も、同じ鍋で野菜と肉や魚を料理しますし、油と発酵性調味料である醤油や味噌を加えます。

日本では、野菜だけの料理が多いですが、煮物は出汁と味噌や醤油など、おひたしにはゴマや鰹節と醤油などで旨味を足しますね。

”「食べる料理でなく、見せる料理」となる危険性”

料理に対する考え方の違いも興味深かったです。日本は「料理をしないことこそ、料理の理想」と考えられているようです。つまりできる限り食材の味を引き立てろ!という思考です。その究極が刺身!

一方ヨーロッパやアジア諸国では、「食べられないものを技術を加え食べられるようにする」や「自然にない味を創造する」ことが料理だと考えられています。

伝統的な日本料理は大変素晴らしいものですが、日本料理への追求は、洗練の度合いが高まるほど「食べる料理でなく、見せる料理」となる危険性をはらんでいると書かれていてハッとしました。離乳食でも同じようなことが起こっていないでしょうか。

また材料の持ち味に依存することは、季節のものを最上に使える富裕層と、材料の入手ができない層との料理の格差を大きくしてしまう危険性もあると指摘されていました。

さらに、1960年から米の摂取量が減少しています。同書にはパンを食べるようになったからではなく、経済的に豊かになり「おかずの数が増えて、米が減った。おかずが多いほど、裕福だという構造ができた」とありました。

「食べているもの」や、「食べものの好み」で、人をカテゴラズするような風潮が垣間見えますが、これらの考え方が、根底にあると感じました。人や考え方の多様化が叫ばれる中、食も本当の意味での多様化が進み、みんながお互い尊重し合える社会が構築されるといいな。

 

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